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第5話 最後の交響曲 〜1〜

星乃すばる


 波空王国は、魔法の王国、と呼ばれています。
 王子しずみの教育係みかげも、魔法を極めた魔術師なのです。
 だが、この国において魔法を使うのは、なにも魔術師だけではありません。
 職人も芸術家も音楽家も、その作品にふしぎな魔法をかけることがあるのです──。

*   *   *

 その日の夕暮れは、まだ早いうちから、世界のすべてが茜色に染まってしまったかのようだった。

 月を編むつとめを終えたしずみは、王宮の渡り廊下を歩いていた。
 吹き抜けで屋外につながっている廊下には夕陽がさしこんで、立ちならぶ円柱も、石畳も、レンガの花壇もその花も、淡い色に染まっていた。

 その廊下のなかほどの花壇に、見慣れた人物が腰かけているのに気づき、しずみは近寄っていった。

「みかげ、こんなところでどうしたの?」
「ああ、しずみ様……」

 みかげは普段と同じ魔術師のローブに長い黒髪を揺らして、いつものように微笑んでみせた。
 だが、それがどこか、ぎこちない。

「なにかあったの? 誰かを待っているの?」

 みかげはその問いにしばらく迷って、少し寂しそうに答えた。

「待っているのではなく、しのんでいるのです」
「しのぶ……?」
「子どもの頃にお世話になった人が、亡くなったという知らせがありまして」

 しずみははっとした。だがみかげは言い終えてしまうといつもの微笑みを浮かべ、遠くの夕焼けを見るようにしながら言葉を紡いだ。

「自分の作品に、一切の妥協をしない人でした。最高傑作をつくった直後にもう、最高のものはこの先にある、と考える人でした。生きているうちに、どんな高みに到達していたのか……」
「なにかを作る人なの?」

 そうしずみが問いかけたとき、ぱたぱたと足音がして、給仕長をしている妖精の女性「ひより」がかけてきた。

 王宮の給仕をつとめる者のなかには、何人か妖精の生まれの者がいる。
 妖精といっても、背丈は普通の人間と変わらない。だがとても華奢な体つきで、髪と肌は透けるような色をしていた。なにより彼女らはとても長寿で、前の前の国王のことも知っていた。

 ひよりは「みかげ様!」と声をあげ、しずみに、にっ、と笑いかけると、両手に抱えた大きな封筒をみかげに差し出した。

「今しがた届いたんです、みかげ様にと」
「これは、ありがとうございます」

 ひよりは「どうもどうも」と笑うと、スカートで手をはたいて、夕暮れに目を転じた。

「変な空ですね。嵐が来そう」
「ひよりさんがそう言うなら、嵐になるのでしょうね」

 みかげの答えに、ひよりは「いやぁ」と照れたあと、胸を張ってみせた。

「妖精の勘は、ことに天候に関しては当たりますからね!」
「お年寄りの知恵、みたいなものだよね」

 しずみはなにも考えずに思い浮かんだことを口にしたのだったが、ひよりは笑いながらしずみに詰め寄ると、急に声を落として言った。

「しずみ様……? 私のことを、おばあちゃんだ、とでも……?」
「そ、そういう意味で言ったわけじゃないよ!」

 慌てて手を振ってごまかすしずみだったが、ひよりの目は冷たい。

「今夜のごはんに、しずみ様の苦手な香辛料を混ぜちゃおうかしら」
「偉大なる妖精のひより様、ご機嫌を直してください」

 しずみは手を合わせて、ひよりを拝むようにした。ひよりは横目でそれを見て「よろしい」と咳払いをすると、ぱっと笑って、「それでは」と言い残して去っていった。

「それで……」

 しずみはみかげと、その手の封筒を見た。
 みかげは、先ほどまでの重い雰囲気を吹き飛ばされたように朗らかだった。

「ああ、この封筒。なんでしょうね。差出人の名前もないようだし……」

 みかげは少しけげんそうに封筒の裏側を見たり、透かして見ようとしたりしてから、ぐるぐるとまかれた紐をといて封をあけた。

 中から出てきたのは、分厚い紙の束だった。
 しずみは紙面をのぞきこむ。

「これって! 楽譜、だよね?」
「交響曲の譜面ですね……」

 みかげはしばらく無言で楽譜をめくっていた。

「しずみ様、先ほどの話の続きですが……亡くなったその人は、作曲家だったんです」
「え? それじゃあ、この楽譜は……」
「彼の書いたものに間違いありません。彼の書き方、彼の文字です。ですがなぜ……」

 みかげがそう言ったとき、楽譜のあいだから、一枚の小さな紙がひらりと飛んでいこうとした。しずみはそれをつかまえて、書いてあった文章を読み上げた。

「『嵐の日に、嵐の中で、この楽譜を燃やされたし』……」
「嵐の中で、燃やせ、ですか?」

 みかげはその紙を受け取って、ほかになにも書かれていないのを見ると、ふしぎそうに目をまたたいた。

 しずみは空に目を転じた。
 世界を塗りかえるような茜色の夕暮れの空には、渦巻くような雲がたくさん出ていた。
 嵐が迫っていても、おかしくない気がした。

 〜2〜へつづく

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