その晩から風が強くなり、翌日はすっかり荒れ模様だった。
横なぐりにするような風が吹き荒れる中、しずみとみかげは渡り廊下にやってきた。
廊下にはごうごうと雨が吹き込んでいる。二人は雨合羽を着こんでいた。
「本当に燃やしちゃうんだね、みかげ」
風にかきけされそうなしずみの声に、みかげは無言でうなずくと、ばさり、と封筒の中の楽譜を花壇のわきの床にばらまいた。そして鮮やかな手つきで宙に紋様を描いて、楽譜の束に魔法の青い火をつけた。
するとその直後、ざああ、とすさまじい風が吹きこみ、火のついた楽譜たちをまきあげていった。楽譜の一枚一枚が、踊るように燃えながら飛んでゆく。
花壇に燃え移ってしまったら大変だ、と思ってしずみがはらはらするうちにも、青い炎は楽譜をのみこんで燃やし尽くしていった。
「あっ!」
しずみは声をあげた。
燃えていく楽譜から、なにか小さな黒々としたものがあふれでて、宙に舞った。
黒ばらの花びらのようにも見えたそれは……。
「音符だ!」
そう、それは、楽譜に書かれていた音符たちだった。
青い炎に燃やされて、灰にはならずに宙空に踊り出ていく音符たち。
その数は増えていき、風の中に舞い遊ぶようだった。
楽譜が全部燃えてしまうと、ひときわ強い風が吹き、音符たちをまきあげていった。
しずみとみかげは、雨にぬれるのもかまわず、花壇のあいだの小道にまで出ていき、音符たちを追った。
すると音符たちは、竜巻のような風に巻き上げられて、天に昇っていった。
それがぶあついねずみ色の雲に吸い込まれてしまったかと思ったとき。
ずがらがっしゃ────ん!
天が割れるようなすさまじい音がした。
「かみなりっ?」
しずみは思わず頭をかばうようにしてしまう。
雨が弱まった。
かと思うと、今度は低くうなるようなかみなりの音が続いた。
ごろ……ごろ……ごろろろ……。
そのうちにも、突風が雨を運び、廊下を吹き抜けて奇妙な音をあげる。
ざざあぁぁ……ぴゅるりるりる……。
ごぉぉぉぉ……ごぉぉぉぉ……。
木々たちも風になぶられて、ざわめきの声をあげる。
ざざぁぁ、ざざぁぁ。ざざざざぁぁぁ。
ぴしゃぁぁぁぁぁぁぁ────────んっ!
張り裂けるような音がして、かみなりがどこかに落ちる。
その光に、しずみとみかげの顔がぱっと照らされた。
「しずみ様……これは……」
みかげが天をあおぎながら口を開く。
しずみはその言葉の先を継いだ。
「嵐が……歌っているのかな……?」
「しずみ様も、そうお感じになりますか」
みかげはそう言うと、空高くを見つめていた目を閉じた。
「まるで自然のものたちが演奏をしているかのような……」
ひょららららららりっ、りっ。
ぴしゃ──ん、ぴしゃ──ん。
ざざぁ、ざざぁぁ……。
二人が耳を澄ませていると、旋律を奏でるかのような、ひときわ印象深い風の音が響いてきた。
ひょかろろろろん、ろろ、ひょかろろろろろん。
ぴぃな、ぴぃなな……。
ひょかろろろろろ……。
「風って……嵐って……こんな音をしていたっけ」
しずみのつぶやきは、嵐の音楽に折りかさなるような木々の音でかき消されていく。
「嵐のときにこそ、世界にはこんなに音楽があふれる……亡くなった先生は、これを伝えたかったのでしょうか……」
ざざぁ、ざざぁぁ……。
ひょらららららりっ、りりっ。
ざぁ、ざぁ、ざぁ……。
駆け上がっていくかのような風の旋律に、木々の低い合唱が重なる。
渡り廊下を抜ける風の音だけでも、笛の音のようでもあり、はりつめた弦を弾いているかのようでもあり、人々の声の重なりであるようでもあった。
それに加えて、窓ガラスが揺れる音、壁になにかが当たる音、木々の枝が折れる音、葉っぱがしずみの耳元をかすめていく音まで……嵐の中のすべてのものが、交響曲の演奏に参加しているかのようだった。
しずみとみかげは、息をつくのも忘れて、嵐の交響曲に聴き入っていた。
体のすべてで、二人は演奏会を感じていた。
「みかげの亡くなった先生も、どこかで聴いているかな?」
「そう思いますよ。雲の上で、今、指揮をしているのかも」
長かった曲がだんだんに去っていって……。
嵐のあとの彫刻のような雲が裂け、青空と日の光がのぞいた。
しずみの中には、嵐の交響曲が、まだ、弾けていた。