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第5話 最後の交響曲 〜3〜

星乃すばる


 その日の夜遅く。
 みかげはひとり、あかりを消した自分の部屋の椅子に座っていた。

 窓ぎわに置かれた小さな丸机の上に、果実酒のグラスを二つ置き、少しのあいだ、目をつむる。グラスには月と星の光で水面のような輝きがやどっていた。

 そして、両方のグラスにそっと酒を注ぐと、ひとつを持ち上げ、乾杯をする。
 グラス同士が触れ合う、かららん、とした爽やかな音がした。

「先生……、最後の曲、聴かせてもらいましたよ」

 みかげはそうつぶやくと、果実酒を飲もうとした。
 だが、その手をふと止める。

 遠くでなにかが鳴っている。

 みかげははっとひらめいた。
 体を、震えが駆けぬける。

「先生……?」

 みかげはグラスを置くと、立ち上がり、耳を澄ませた。
 そして、導かれるように部屋の外に出ると、石の階段をあがっていった。

*   *   *

 北の塔の最上階の小部屋。そこには、しずみの月笛が置かれているはずだった。

 そう、その月笛を奏でる音がしている。

 しずみではないだろう。しずみの音色とは、あまりに違う。今みかげのもとに流れてくる音色は、月下の花のように美しく、妖しげですらあった。

 この音色が聴こえているのは、自分だけなのだろうか、と思いながら、みかげは小部屋をのぞきこんで、息をのんだ。

 月明かりの部屋で、月笛が、宙に浮いてひとりでに曲を奏でている。
 いや……。

 目をこらして、みかげはぎょっとした。
 影のようなものが、ゆらゆらと揺らめきながら、月笛を吹いている。

「先生……!」

 そう、それは、亡くなった音楽家の「先生」のように見えた。
 みかげは動揺しながら、入り口に立ち尽くす。

 影も、みかげを認めたようだった。ふいに、演奏がやむ。
 影は少しだけ……笑った、だろうか……?

「先生、先生、ですよね?」

 みかげは小さくつぶやいて、部屋の中に踏みこんだ。
 すると、影が再び演奏をはじめた。

「これは……!」

 聴いたこともない不気味な音楽だった。
 曲に合わせて、部屋全体の暗闇がどくん、と波打ったかと思うと、演奏している影のまわりに黒々とした渦ができはじめた。

「いけない! これは……影の門……!」

 みかげはそれを見てはいけない、と悟った。
 だが、遅かったかもしれない。
 本当は、その演奏を聴くだけでも、いけなかったのかもしれない……。

 部屋のあちこちの暗闇が、渦に吸いこまれていく。渦は大きくなっていく。

 そして、演奏していた影がひらり、とひるがえって渦の中にのみこまれたかと思うやいなや……「みかげの影」がみかげから離れ、飛び跳ねるようにして渦に向かっていった。

「あっ!」

「影」が体を離れてしまうとは、おおごとだ。
 みかげは自分の「影」を追って、渦のほうへ手を伸ばした。

 誰もいなくなった小部屋で、しゅるり、と影の門が閉じた。
 それから、みかげの姿を見た者はいない。

 第5話 最後の交響曲 おわり
 第6話 影の国 へ つづく──

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