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第6話 影の国 〜1〜

星乃すばる


 光あるところに影はあり。暗き闇の中にも影はあり。
 そしてこの世界の「裏側」には、影たちの国があるという言い伝えがありました。
 その影たちの国があるおかげで、この世界には魔法があるのだ、とも。
 影たちのふしぎな国は、今このときも、世界のすぐ裏側にたたずんでいるというのです──。

*   *   *

 みかげが、いなくなってしまった。

 みかげは国王の側近だ。王宮の人たちは、みかげがなにも言わずに姿を消したことに、あわてふためいていた。だが三日目にもなると、皆はみかげのことを忘れてしまったかのようにしずかになった。

 王子しずみは、そうではなかった。

 みかげは、しずみの教育係だったのだ。誰よりも、国王である父よりもそばにいてくれて、しずみの面倒を見てくれていた。本当なら今日も朝から、みかげが一対一の授業をしてくれているはずだった。

 しずみは自分の部屋で、本を開いてぼうっとしていた。
 窓の外の雨は、しずみの心のようだった。

 本の中身なんて、頭に入ってきはしない。
 みかげ、みかげ、とひたすら名前を念じてしまう。

「どこにいるの? 帰ってきてくれるよね? それとも、どこかで帰れなくなってしまっているの?」

 言葉の意味が、もう、よくわからなくなってしまうほど、しずみはくりかえしつぶやいていた。頭の中はぐわんぐわんとして、なにもうまく考えられない。ただ、心は不安の怪物に踏み荒らされたようにめちゃくちゃで、切なさに悲鳴をあげていた。

 しずみは本を置くと、ベッドに体を投げ出した。

「みかげ……どこに行っちゃったの……」

 捨てられた子猫であるかのように身を丸めながら、涙がにじむのもそのままにして。

「誰でもいい、みかげのいるところに連れていって……!」

 半分混乱しながらそう叫んで、しずみははっとした。
 誰かに、名前を呼ばれた気がしたのだ。

 しずみは体を起こしてあたりを見回した。
 だが、部屋にはしずみひとりがいるばかりだ。

「今、たしかに……」

 その声はどこかで聞いたことがあるような気もしたのだ。なつかしい人に、名前を呼ばれたような。だが、それはみかげの声ではなかった。

「誰だろう……」

 雨の音だけが、部屋にこだましていた。

*   *   *

 夕食を終えて、狭いらせん階段をあがっていたしずみは、またはっとして立ち止まった。
 誰かに、今、名前を呼ばれた。

「誰? どこにいるの?」

 しずみは小さくそう口にした。
 卵の黄身のような色の魔法のあかりに照らされた階段には、しずみの他には誰もいない。しずみの影が大きく伸びているばかりだった。

「……そう、こっちだ……しずみ……」

 そんな声がして、しずみはびくりとした。
 きょろきょろとあたりをうかがう。

 しずみの影も、その動きを追った。

 だが、しずみがはっとして動きを止めても、影は、方位磁針の針のようになめらかにゆらゆらと左右に揺れていた。

「な……なんで……!」
「……そう、僕だよ、僕……」

 間違いない。影から、声がした。
 そして影は、わっと伸びて、狭い壁の一面に広がった。

「しずみ、僕だよ……君の影さ……!」

 黒々としてゆれる影に今にもおそわれるのではないかと、しずみはぎゅっと目をつぶった。
 逃げなくちゃ……、そう思ったが、体は固まったかのように動かない。

 だが、しばらくたっても、影がおそってくることはなかった。むしろ、あたたかいものにそっと包まれているような感じがした。しずみはそうっと目を開けた。

 目の前の壁で、大きくなった影が、こちらをうかがうように揺れている。
 おそろしい、と思う気持ちをなんとかおさえて、しずみは影をまじまじと見た。
 黒い影の中に、よく見ればうっすらと、しずみと同じ顔、髪型、服装が見て取れた。

 それは「しずみの影」だった。

 しずみの影は、挨拶するかのように背を伸ばしたり縮めたりしたかと思うと、しずみと目を合わせてささやいた。

「みかげは、影の国にいるよ」

 みかげの名前に、しずみははっとした。

「みかげが? 影の国? それはいったいなに? どこにあるの? それに、どうして?」

 質問の嵐にも動じず、影は答えてくれた。

「影の国は、この世界の裏側にある、僕たちの国さ。みかげは、自分の影を追って、影の国に迷い込んでしまったんだ……」

 しずみは影に手を伸ばして、服につかみかかりそうな勢いで、必死になって問いかけた。

「どうやったら、みかげのところに行けるの?」

 息をつめて窒息してしまいそうなしずみを、影はなだめた。

「落ち着いて。風の子を呼ぶんだ、しずみ」

 風の子……!
 しずみは目を見開いて「わかった」と答え、影に尋ねた。

「君もいっしょに来てくれるの?」

 影の口もとが、にっ、と笑った気がした。

「僕は君の影……生まれたときからずっといっしょだったよ。でも、みかげが影の扉をまたいでから……僕はいくらかの自由を得て、しゃべれるようにもなったんだ」
「そうだったの」
「でも、急ぐんだ、しずみ。今晩のうちに、みかげを助け出すんだ」
「みかげを、助け出す」

 しずみはその言葉をくりかえしてつぶやくと、うなずいた。

 〜2〜へつづく

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