一歩、王都に足を踏み入れたところで、しずみはあまりのまばゆさに思わず手で目をおおった。
扉の向こうから見たときは、夜に沈んでいるように見えた街並みに、今はさんさんと陽がさしていた。
白くて、透明な陽の光だった。
それが、影絵のように黒々とした建物や、水路や、街灯にふりそそいでいる。
あたりの景色はあまりに鮮やかな白と黒でできていて、ぱきっとひび割れてしまいそうに見えた。
しずみは絵画の中にでも迷い込んだかのような気分で、人気のない大通りを歩いていった。
だが、だんだんと意識がもうろうとしてきた。
真夏のような陽の光に、じわじわと意識が吸いとられていくかのようだった。
ふしぎなことに汗はにじまない。ぼうっとした頭で建物の影や自分の影を見て、影ってこんなに黒かったっけ、としずみは思った。
どこをどう歩いたのだろうか、しずみは見慣れた通りに辿りついた。
行きつけの骨董品店の看板が見えた。
しずみは遭難して漂流していた人が島を見つけたみたいに、ふらふらと店に吸い寄せられていった。
「おじいさん……いないよね」
しずみは店のガラス戸をのぞきこんだ。
すると、ちりりん、と、風鈴のような音が聞こえた。
なにかが店の奥で動いたような気がして、しずみはガラス戸を開けた。
この王都に足を踏み入れてから、誰にも出会っていない。
今まで、風もなければ、音もなかった。それが、この店の奥からは、なにかの気配が……。
しずみは店に入っていった。
店の中はひんやりとして、気の遠くなるような日差しを忘れることができた。
雑多な品物が積みあげられた通路を歩いて行くと、奥の暗がりで、ひゅるり、となにかが動いたのが見えた。
影、かもしれない。しずみは目をこらした。
暗がりの闇の中を、たしかに黒い影が通りすぎた気がした。
どこへ行ったのだろう?
おそるおそる暗がりへ進むと、店の奥へ抜ける扉が、半開きになっていた。
その扉の奥からは、かすかにがやがやとした音が聞こえてくる。
しずみは思い切って扉を大きく開けた。
ざっ、と大きなざわめきが、しずみの全身をおそった。
ざわめきに連れこまれてしまうようにして、しずみはその先へ踏みこんだ。
* * *
一歩踏みこむと、そこは、不気味なにぎわいを見せる別世界だった。
路地裏、いや、横丁、だろうか。
道のわきにはごちゃごちゃとした屋台が立ち並び、真っ黒な影が「いらっしゃい、いらっしゃい」と口々に声をあげていた。
「よってらっしゃいみてらっしゃい、影ねずみの踊りだよ」
「影の海の流氷をご覧あれ」
「影を煮詰めたジュース、飲んでいかないかい?」
「影ガラスの細工品、きれいですよ」
しずみはあっけにとられて往来へ踏み出した。
口々にさそい文句をうたう影たちはまるで人さらいのようでおそろしかったが、好奇心もうずいた。
いくつめかの屋台の品物の中には、たいそう美しい星座盤があり、しずみは思わず顔を近づけてながめていた。
「おやおや、影でないお方とはめずらしい。しかしお客さん、お目が高い……」
店主の影が、手をこすりあわせながら、しずみの近くに寄ってくる。はっとして顔をあげたしずみは、その店主の影とぶつかってしまった。
いや、ぶつかったのではなかった。
通り抜けてしまったのだ。
しずみの頭と肩はひゅっと店主の影を通り抜け、暗い水の中で目を開いたような景色が見えたかと思うと、頭も肩も、氷水にひたされたかのような冷たさにおそわれた。
「ごめんなさい!」
しずみは冷たさに驚き、とっさにそう叫ぶと、屋台から離れた。
だがその先で、通行人の影に正面からぶつかり、通り抜けて、転んでしまった。
またも影を通り抜けたとき、おそろしい冷たさが駆けめぐった。
「わっ、わっ……」
転んでひざをついたしずみを、避けてくれる影もあれば、ぶつかって抜けていく影もあった。そのたびにすさまじい冷たさにしずみはぞくりとなり、混乱し、涙があふれてきた。
──やっぱり、影って、普通のものじゃない……!
ここから、逃げなくては。
しずみはあの骨董品屋の裏口からここにやってきたのも忘れて、とにかく路地の先へ、先へと走り出した。
そこからは、もうよくおぼえていない。
影がたくさんいる路地もあれば、またしても誰もいない絵画の中のような通りもあったと思う。
だが、しずみは泣きじゃくっていて、もうわけがわからなかった。
何度も影とぶつかった体は、冷たさが消えたあとも、大事なあたたかさがそがれてしまったような感じがして、なかなかもとにはもどらなかった。