目次第1話第2話第3話第4話第5話/ 第6話()あとがき


第6話 影の国 〜7〜

星乃すばる


 目を覚ますと、朝の光がふりそそいでいた。

 ふかふかの布団。見慣れた部屋。いつもの朝。
 しずみは体のあちこちをたしかめたり、部屋のすみずみを見回したりしながら、ベッドからおりた。

「しずみ様! お目覚めですか」

 給仕長の妖精、ひよりの声が耳に飛び込んできた。
 部屋の入り口に立っていたひよりは、しずみに駆けよってきて、手を取った。

「まるまる三日間も眠っておられたんですよ! みかげ様が心配いらないというから、心配はしていませんでしたが、いや、そんなことはないです、心から心配でした」

 一気にまくしたてるひよりの、いつもと変わらない様子と優しさに、しずみは微笑んだ。

「みかげも、帰ってきたんだね」
「ええ、なにもお話しになりませんけど。みかげ様を呼んできましょう」

 ひよりが出て行こうとするところに、ちょうどみかげがやってきた。

「みかげ!」
「しずみ様。お目覚めになられたんですね、よかった」

 なにもかもが、戻ってきたのだと……王宮の朝の時間に、しずみは深く感謝した。

*   *   *

「僕、三日間も眠っていたんだというけれど」

 夕方、月笛の置いてある部屋で、しずみはみかげに問いかけた。

「三日間、月は編めなくて……月はなくなっちゃっていたのかな?」

 しずみは長いこと、みかげがいなくなっていた間も、欠かさずに月を編むための演奏をするつとめを果たしていた。
 それがこの三日間はできなかったのだとしたら。

「それなのですが」

 みかげはしずみの背後を指さした。

「しずみ様の影が、おつとめを果たしてくれていたようですよ」
「えっ、僕の影が?」

 しずみがびっくりしながら影を見つめると、影は応えるようにゆらゆらと揺れてみせ、それからひとりでに伸びると、しずみの目の前の月笛をつかんだ。

 それから影はしずみの前にひょいと回り、おじぎをすると、月笛を吹き鳴らしてみせた。
 あたたかな音色で、月を編むときの曲の最初の部分を奏でてくれる。

「わっ、すごい! 本当に代わりに吹いていてくれたんだね……ありがとう!」

 影が笑った気がした。
 影は丁重に月笛をもとの場所に戻し、しずみのもとに戻った。

 しずみはみかげと目を見合わせたあと、月笛を手に取り、屋上にあがり、その日の月を編むため、演奏をはじめた。

 その日の月は、満月から三日目の、まんまるが少し欠けた月だった。

 やがて、夕暮れの空の向こうからきらきらと金色の蝶たちがやってきて、しずみたちの目の前で舞い踊った。
 何度見ても、たいそう美しかった。
 そして蝶たちは、ふしぎな糸を吐きながら、月を編み上げはじめた。

 その途中で、しずみの影がひゅぅ、とみかげのほうへ伸び、みかげの影の手を取るのが見えた。

 しずみは月笛を奏でながら、なにをするつもりなのだろう、と影を見ていた。

 しずみの影はみかげの影と手をつなぐと、しずみからぱっと離れ、宙空に立ち上がったかと思うと、演奏に合わせて踊り出した。
 それは、優雅に氷の上をまわるような円舞だった。

 しずみとみかげは、目を見張って影たちを見つめていた。

 そのうちに、しずみの影が一礼をした。
 そしてしずみのほうへやってくると、しずみからぱっと月笛を取り上げ、続きの演奏をはじめた。

「次は私たちが踊る番、と言っているようですよ」

 気づけばとなりにいたみかげに、手を取られていた。
 金色の蝶が舞いながら、月を少しずつ編み上げる中で、いつのまにかしずみは、みかげに導かれて舞っていた。

 こんな風に踊ったことなどないのに、としずみは目を見開く。
 足は軽々と心を運び、輪になって連なる風の中へ、しずみを乗せていった。

 向かいには、みかげの優しい笑みがあった。
 足もとには、いつしか影が滑りこんで、軽やかにしずみを踊らせていた。

 夜が満ちた天空に、編み上げられた月が放たれる。
 ひゅっ、と通りかかった風が、それをすくいあげて運び、こぼれるような銀の河の星々が、次々に瞬きながら抱きとめた。

 笛が奏でていたはずの音楽は、空のすべてに流れる響きになって、しずみたちを包んでいた。

 豊かな銀の海に、溶けていくみたいだった……しずみの心も、体も、影も……みかげも……景色も、色も、音も、風も……時も、夢も、魔法も、優しい波に撫でられながら、溶けて……溶けて……。

*   *   *

 その晩のことは、どこからが夢だったのか、思い出してもよくわからなかった。

 でも、としずみは、それ以来、時おり考える。
 机に向かって自習をしているあいまに、寝台の上の天窓に夜空を見上げたときに、あるいは街の素敵なお店へ向かう道すがら。

 でも、でも、どこまでが、夢なのだろう。

 この本も、あの星々も、ともに歩く影も、大切な人も、しずみの心も。

 すべて夢であっても、ほんとうであっても、おんなじではないだろうか。
 いつも、夢の中にいるような心地でいるならば……。

*   *   *

 今日も、波空王国に、鮮やかな風が吹いています。
 その風は、しずみやみかげのもとに、またふしぎな冒険を運んでくるのでしょう──。

 第6話 影の国 おわり

 〜 あとがき

目次第1話第2話第3話第4話第5話/ 第6話()あとがき

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで

気に入ったら押していただけると励みになります!